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八千代の伝説~昔ばなし

第一話 「ごんげん山の昔ばなし」

~ 昔むかし、八千代という名前になる前の、小さい村のお話です。~

■  「ごんげん山の昔話」を歩いてみよう
今から約530年前の室町時代(文明11年/1479年)に太田道灌が近くの米本城攻略の際に陣を張ったと言われています。



参道の石段。急勾配で上がるのはキツイのですが、登りきると袴腰の二階建ての鐘楼が目の前に現れます。また眼下の眺望が良く、村上方面や米本方面が広く見渡せ、合戦の陣地とされたのも肯けます。




本殿・拝殿は二棟が一体化した「権現造り」に見えますが、別々に建てられたもの。
本殿は約220年前(寛政3年/1791年)ごろの建立後、約150年前(安政3年/西暦1856年)に再建されたと考えられています。
拝殿は約123年前(明治22年/1889年)に建造されたと考えられています。
初詣、合格祈願、七五三など多くの市民が生活の節目に参拝に訪れます。



鐘楼は本来は寺院にある銅鐘を吊るす建物ですが、神社内の境内に鐘楼がある神仏混淆は明治時代以前は珍しいことではなかったそうです。

正確な建立年代不明ですが、100年を優に超えた建造物であると考えられます。


飯綱神社の本殿を囲う玉垣にはめ込まれた彫物です。
約200年前(寛政3年/1791年)に作られたと言われています。
画題は中国の書物「二十四孝」。
建造当時の儒教的な社会を色濃く反映した優れた彫物です。

※「二十四孝」とは、中国において後世の範として、孝行が特に優れた人物24人を取り上げた書物です。
矢中・おんまわし

米本城跡と飯綱神社の間、合戦の舞台となった辺り。新川の遊歩道から見渡せる広大な田んぼの一帯です。
この平野の景色は昔も今も変わらない八千代の原風景のように感じます。
平野に吹き渡る風は戦国時代の激しい戦いの中で軍旗をはためかせていたかもしれませんね。
飯綱神社から新川遊歩道沿いを八千代の昔や今を感じながらの散策、
静かでのんびりとしたローカルな楽しさがありますよ。
次回のおしらせ

第二話 「おしどり伝説」(正覚院/村上)
おたのしみに

2012/01/16